なぜ太平洋戦争中に東京府と東京市は解体され、東京都と23の特別区となったのか?
あらすじ
江戸時代が終わり、明治時代の東京は東京府と東京市が存在していました。関東大震災を気に東京市は次々と合併して大きくなりました。
しかしアジア・太平洋戦争中の1943年に強引に東京市は廃止され、今の東京特別区となりました。
東京市の特徴とは?
東京市ができた明治時代は江戸城周辺くらいしかありませんでした。しかし都市部の拡大と共に東京市は吸収合併していきました。
昭和時代には今の東京23区並みに拡大し、人口は1940年に670万人もいました。今より4割くらい人口は少ないですが、今の名古屋市や大阪市よりも川崎市と横浜市の人口を合わせたよりも多いです。
なお1940年当時の当時の東京府の人口は約740万人でうち9割が東京市(現在の東京23区)が占めていました。現在では再び23区人口集中しているとはいえ約7割くらいが東京23区に人口が集中していることを考えると当時はもっと東京都心に人口集中していました。
当時は東京市、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市が政令指定都市並みの大きな権限を持っていました。
しかし東京都の人口9割を占める東京市が東京府を凌ぐ力を持っていました。
戦争遂行に向けての効率化のために東京市は廃止されることに
1937年に日中戦争が勃発すると戦時体制に対応させるために政府は東京を政治的・経済的に統合するよう要求することとなります。
軍部から見たら東京都と東京市が同等の権力では国家総動員体制にうまく対処できないと思ったのでしょうか。
そして1943年1月、既に太平洋戦争が突入されていた時期に廃止され、7月施行となりました。